日清製粉グループ

こむぎ粉くらぶ All About Flours And Flour Cooking
粉料理名鑑 粉料理名鑑レシピ 全国粉料理探訪 こなコラム 全国粉料理MAP
ホーム知る・楽しむこむぎ粉くらぶ全国粉料理探訪>007横浜 シウマイ
全国粉料理探訪
007横浜|シウマイ 横浜から鉄路伝って
INDEX
PART1 新たな夜明けがもたらした横浜名物
PART2 「冷めてもうまい」の手掛かりを探せ
PART3 昔とおんなじシウマイをつくろう
PART4 横浜にこだわり、楽しさにこだわり
PART1|新たな夜明けがもたらした横浜名物
1859(安政6)年の開港以来、横浜にはいちはやく異国の文化が流入。さまざまな国から、さまざまな人が移り住むようになり、外国人居留地ができた。西洋建築が建ち並び、南京街(今の中華街)が形成され、人と文化が交わる国際色豊かな都市として成熟してきた。ガス灯がきらめき、馬車が疾駆する新しい街には当然、新しい食文化も生まれた。パン、牛乳、アイスクリーム、ビールといった、今では当たり前の食べ物が横浜から全国に広まっていったと言われる。
1872(明治5)年、全国で初めて鉄道が開通したのも、横浜と新橋の間だった。この鉄道を契機に、全国にその名をとどろかした横浜名物がある。横浜では駅の構内をはじめ、街の通りのそこかしこで赤い看板を見かけるだろう。そう、崎陽軒のシウマイだ。
ご存じのとおり、シウマイ(焼売)は中国を発祥とする点心料理だが、それがどうして横浜名物となり得たのか、その鍵を握るのは崎陽軒にあった。野並直文社長にお話しをうかがいながら、横浜発シウマイの歴史を追ってみよう。

上)変わる横浜のシンボル「みなとみらい21」には新施設が目白押し
左下)外国人居留地として栄えた山手地区には美しい洋館が建ち並ぶ
右下)明治時代の赤レンガ倉庫がショップ施設としてよみがえった

▲ページのTOPへ
PART2|「冷めてもうまい」の手掛かりを探せ

中国料理店を中心に約500軒もの店が集まる世界最大規模の横浜中華街

「1908(明治41)年に崎陽軒が創業したときは、ごくふつうの駅弁屋だったんです。しかし、当時の横浜駅というのは通過駅なんで、東京を発つ人は東京で駅弁を買うし、大阪から来る人はもうすぐ東京に着くから駅弁は買わない。そんなわけでなかなか弁当が売れない」
静岡にはわさび漬け、小田原にはかまぼこといったように、その土地土地の名産品があり、人気を集めていたが、まだ歴史の浅い横浜にはそうした食文化が熟成するには至っていなかった。
「“ないならつくっちまえ”というのが、初代(故・野並茂吉氏)の発想だったようです」
初代社長は、横浜南京街ではどこのお店でもつきだしに出されるシウマイに目を付けた。日本人の味の好みに合っていると直感した社長は、南京街から、呉遇孫(ごぐうそん)という菓子職人をスカウトし、新製品の開発にとりかかる。ところが、蒸したてを頬張るとあれほど旨いシウマイなのに、冷めてしまうと魅力も半減してしまった。折り詰めにして売るには、どうあっても“冷めてもおいしいシウマイ”でなくてはならない。
その手掛かりは、ホタテにあった。干したホタテの貝柱とエキスを加えることで旨みが増し、冷めてもおいしさを維持できることを突き止めるには、およそ1年の歳月を要したと言う。
「もし崎陽軒が駅弁屋じゃなく、中華料理屋だったとしたら“冷めてもおいしい”なんて発想は生まれなかったでしょうね」
こうして1928(昭和3)年、横浜駅でシウマイは販売開始されたが、高価なホタテを使用していることもあり、当初はなかなか売れなかったと言う。横浜名物として全国に知られるようになるのは、戦後になってからのことだった。
当時の駅弁は、今のように売店や車内で買うのではなく、汽車の窓を開けて呼びかける乗客のもとに、かごを下げた販売員が出向いていき、窓から売り渡すスタイルだった。この販売員が、鮮やかな赤のチャイナドレス風のコスチュームに身をまとっていたとしたら、どうだろう。
崎陽軒の「シウマイ娘」が世間の話題をさらうのに、それほど時間はかからなかった。シウマイ娘は、獅子文六が新聞に連載した小説『やっさもっさ』にも登場。翌年『やっさもっさ』が映画化されると、シウマイ娘は全国で知られることになり、同時にシウマイが横浜名物として認知されるようになったのである。
「戦後間もないことであり、まだ人々の心の傷跡も癒えない時代のことですから、シウマイ娘は明るい話題として取り上げられたんじゃないかと思います」

上)チャイナドレスに身をまとった崎陽軒の「シウマイ娘」が駅に登場
下)横山隆一による「ひょうちゃん」は今なお高い人気を誇る

▲ページのTOPへ
PART3|昔とおんなじシウマイをつくろう

昭和29年以来、ほとんど変わることがないというご存じ、シウマイ弁当

経木のふたをめくると、青梅を添えたごはんの横に、とりどりのおかず。マグロの照り焼きや鶏の唐揚げ、タケノコ煮などなどと、もちろん、シウマイ。欠かせないお口直しには、干しあんず──1954(昭和29)年の発売以来、ほとんど変わることのない「シウマイ弁当」は、旅情をくすぐる、楽しいロングセラーだ。冷めてもおいしい、と言うよりは、冷めているからこその味わいがある、このシウマイには、徹底した手づくり感へのこだわりが生きている。
シウマイの材料は、豚肉、ホタテの貝柱、タマネギ、グリンピース、そして小麦粉からなる皮。味付けは、塩、こしょう、砂糖、貝柱のスープ。これら具材は、製法ともども、昭和3年の発売以来ほとんど変わることはない。
「安全性を重視して、原料はすべて厳選した国産品を使っています。素材本来の旨みを最大限に引き出すため、保存料はもちろん、化学調味料も使用しません。そうしたものを使用すると、どうしても後味が気になるんです」と語るのは、シウマイ製造課の入江博明課長。冷めてもおいしい秘訣についてうかがった。
「ホタテを加えて旨みや香りを引き出しているほか、脂を含む豚肉や、タマネギなどの配合量のバランスがかなり研究されていると思います。皮についても、厚さは約3mm。薄すぎず、厚すぎず。食感を損なうことなく、具材をやさしく包み込んでいます」
ホタテの配合だけでなく、あらゆる角度からシウマイを考察した結果、冷めてもかたくならず、また、豚肉の臭いなどが気にならないシウマイが生まれたことがうかがえる。一口でほおばって、かみしめると魚介の香りが鼻に抜け、次いで舌先には、それぞれの素材の旨みをはっきりと感じることができる。
崎陽軒では、2003(平成15)年に、シウマイ生産の拠点となる横浜工場の全面リニューアルを行った。この工場で生産されるシウマイは、1日になんと80万粒にも及ぶ。
「“昔と同じシウマイをつくろう”をコンセプトに、製造機もオリジナルのものを新たに開発しました。具材や皮のミキシングや成形は限りなく手づくりに近づくよう、また蒸すのにしてもせいろに近くなるよう、試行錯誤を繰り返しました。リニューアルといっても、効率の面では悪くなった部分もあるんじゃないでしょうか(笑)」
総務省の統計では、家庭でもっともシウマイが食べられている都市は横浜だそうだ。旅人のみならず、横浜市民にも愛され続ける崎陽軒のシウマイ。「それだけ期待も大きいので、いい加減な仕事はできません」と、入江課長は顔を引きしめた。

左上)皮になる小麦粉はグルテンを出しすぎないミキシングがポイント
右上)具を包むにも「手づくり感」が出るよう試行錯誤が続いた
下)90℃で5分間、せいろに近い環境で、丁寧に蒸し上げられる

▲ページのTOPへ
PART4|横浜にこだわり、楽しさにこだわり

「横浜にこだわり続ける」と、崎陽軒の野並直文社長

崎陽軒の新工場には、一般の方がシウマイのできる様子を見学できる通路が設けられた。親子での見学や学校の社会学習をはじめ、地元の方を中心に予約は後を絶たないそうだが、こうした地域貢献にも、崎陽軒の地元・横浜へのこだわりと愛着がうかがえる。
「崎陽軒の将来の方向性についていろいろ考えていたときのこと、ある方にこういう話をうかがったんです。真にローカルなものがインターナショナルになりうる、と。これを契機に、崎陽軒はローカル企業に徹しよう、これからも横浜にこだわっていこうと決心したんです」(野並社長)
工場の見学通路は「食育」の一環と言えるが、野並社長は、こう返す。
「食育というと少しかたくるしくなってしまいますが、私たちはむしろ“食べる楽しさ”を大切にしたいと考えています。例えば、駅弁は旅の楽しさに欠かせないものですよね。車窓から景色を眺めながら、かたわらにお茶を置いて、駅弁の包みをとく、あの感じ。崎陽軒のシウマイが、いろいろな旅の思い出になってくれるといいですね」
文明開化以来、さまざまな文化が融け合い、独自の街として発展してきた横浜は、2009年に開港150周年を迎える。2008年に創業100周年を迎える崎陽軒のシウマイは、そんな横浜の名物料理として、これからも人々の心に残り続けるだろう。
▲ページのTOPへ
SHOP DATA
株式会社崎陽軒
http://www.kiyoken.com/
※横浜駅構内をはじめ各地に直営売店を展開しています。
株式会社崎陽軒
   
崎陽軒横浜工場
横浜市都筑区川向町675番1号
http://www.kiyoken.com/factory/
※工場見学は完全予約制です。
崎陽軒横浜工場
 

日清製粉グループ ホーム