| 渡辺: |
山根さんがイタリアで修業されていたのはいつ頃ですか?
おそらく私がイタリアで修業していたのとちょうど同じ時期なんじゃないかと思うのですが。 |
| 山根: |
私は、84年の春にイタリアへ渡りまして、86年の2月に帰国しました。 |
| 渡辺: |
やっぱり、ちょうど同じ時期ですね。私は84年の3月に日本を出て、86年の7月に戻ってきたんですよ。
最初はどこに行かれたんですか? |
| 山根: |
まずはペルージャに行きました。そこで語学を集中的に勉強したんです。その後、アマトリーチェの料理学校に通っている日本人がいるから訪ねたらどうかと言われて、その料理学校に通えればと思ってアマトリーチェまで行ったんですけど、断られてしまって…。 |
| 渡辺: |
本当ですか! 実は私もアマトリーチェに行ったんですよ。同じように料理学校には入れてもらえませんでした。それで私はナポリに行ってホテル学校に入ったんです。 |
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| 山根: |
そうなんですか! 私はそれでペーサロ(マルケ州)のホテル学校に入ったんです。 |
| 渡辺: |
なんか、同じようなことやってたんですね。 |
| 山根: |
当時は、今のようにイタリアに関する情報もなかったし、大変でしたね。
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| ------ 当時、イタリアに渡った目的など、お聞かせいただけますか? |
| 渡辺: |
山根さんはイタリアへ行く前から、イタリア料理をやられていたんですよね? |
| 山根: |
はい。神戸の「ドンナロイヤ」にいました。 |
| 渡辺: |
「ドンナロイヤ」といえば関西では本当の老舗ですよね。私は東京の「アントニオ」にいました。老舗という意味ではちょうど同じような存在のお店ですよね。 |
| 山根: |
そうですね。
当時の日本のイタリア料理はちょうど過渡期だったというか、古典を研究し尽くした料理というわけではなかったし、かといって素材中心の最適調理というような料理でもありませんでした。
メニューはスカロッピーネやビステッカ、鶏のカチャトーラといった決まりきったものしかなくて、面白そうな素材を使いたいと思っても使わせてもらえなかったんです。
新しい料理を考案しても、名前のない料理はやっちゃいけなかった。
でも料理って本当は名前なんか後からつけるもので、毎日材料をみて、これとこれを組み合わせてこう調理したらおいしいやん…というものだと思うんです。
だから、本当は名前のない料理だらけのはずなんですけど、それができなかった。
何がやってよくて、何がだめで、どういう方向に進んだらいいのかがわからなくなっちゃったんです。
それで、イタリアへ行くしかなくちゃったというわけです。 |
| 渡辺: |
わかります。当時はみんな同じような経験をして、イタリアへ行くようになったんじゃないでしょうか。 |