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1859(安政6)年の開港以来、横浜にはいちはやく異国の文化が流入。さまざまな国から、さまざまな人が移り住むようになり、外国人居留地ができた。西洋建築が建ち並び、南京街(今の中華街)が形成され、人と文化が交わる国際色豊かな都市として成熟してきた。ガス灯がきらめき、馬車が疾駆する新しい街には当然、新しい食文化も生まれた。パン、牛乳、アイスクリーム、ビールといった、今では当たり前の食べ物が横浜から全国に広まっていったと言われる。
1872(明治5)年、全国で初めて鉄道が開通したのも、横浜と新橋の間だった。この鉄道を契機に、全国にその名をとどろかした横浜名物がある。横浜では駅の構内をはじめ、街の通りのそこかしこで赤い看板を見かけるだろう。そう、崎陽軒のシウマイだ。
ご存じのとおり、シウマイ(焼売)は中国を発祥とする点心料理だが、それがどうして横浜名物となり得たのか、その鍵を握るのは崎陽軒にあった。野並直文社長にお話しをうかがいながら、横浜発シウマイの歴史を追ってみよう。
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上)変わる横浜のシンボル「みなとみらい21」には新施設が目白押し
左下)外国人居留地として栄えた山手地区には美しい洋館が建ち並ぶ
右下)明治時代の赤レンガ倉庫がショップ施設としてよみがえった |
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