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パンのこぼればなし
過ぎ越しの祭りと種入れぬパン
その夜─ニサン月の14日夜、ヘブル人たちは小羊を屠(ほふ)り、その血を目印になるように戸口の両側の柱とかもいに塗り、肉を焼き肉にして残らず食べた。そして、種入れぬパンに苦菜(にがな)を添えて食べ、神の命じるとおり外出しなかった。

神の使者はエジプト人の家の長子と家畜の初子(ういご)の生命を奪ったが、小羊の血を塗った家は過ぎ越して行った。こうしてエジプト人が恐怖で混乱におちいっているすきに、モーセに率られた60万人のイスラエルの民は奴隷状態に置かれていたエジプトからの脱出を敢行する。

のちにユダヤ人の3つの重要な宗教儀式となった「過ぎ越しの祭り」「初子の犠牲の祭り」「種入れぬパンの祭り」は、すべてこのエクソダス(出エジプト)のドラマから発している。

かつての日々、シナイ半島の荒野を「乳と蜜の流れる地」めざして苦難の旅を続けた父祖の事業を記念して、ユダヤ暦のニサン月(太陰暦3月15日〜4月14日)の14日夜から始まる過ぎ越し祭りは、21日夕方まで1週間続く。この7日間、種入れぬパンを食べ、種を入れたパンは家の中に置いてはならない。あの夜、父祖たちは「まだパン種を入れない練り粉を、こねばちのまま着物に包んで肩に負った」(出エジプト記12・14)はどの慌ただしい旅立ちをしいられ、ほかに何の食料もないままに、道中、種入れぬパン菓子」を焼かねばならなかった。これを決して忘れぬよう、のちのちも守るようにとは、モーセの固いいましめでもあった。過ぎ越しの祭りに欠かせない無発酵パン「マッツァ」のこれが由来である。

もっとも専門家のなかには、ヘブル人が遊牧の民であった時代、毎年春に神との和解のために家畜の初子をささげ、また病気の神の侵入を防ぐために戸口やテントの柱に血を塗る風習があった。過ぎ越しの祭りは紀元前900年代に南北に分裂したヘブル人の王国のうち、牧畜主体の南ユダヤ王国の系統に属するもの。いっぽう、種入れぬパンの祭りは、農業主体の北イスラエル王国の系統のもので、1年間使って汚れて弱ったイーストを捨てて、新しい酵母が発酵するまでの間、イースト抜きの無発酵パンを食べたのがルーツ。農耕時代に入ってからの生活の知恵を反映しており、2つの祭りの起源には時代のズレがある─と、合理的な説明を加える人もある。
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