珍奇なもの、新しいものを好み、派手な格好で街を歩き回る─桃山から江戸初期にかけては「かぶき者」と呼ばれた。出雲の阿国が京都の北野神社境内で始めたかぶき踊りは、そんな異風、異様を好んだ若者たちの風俗を盛り込んだレビューだった。
そうしたかぶき者のパイオニアであり、また代表選手といえるのがほかならぬ織田信長だ。
かぶき者の第一の特徴は、ともかく珍しい物には目がない新しがり屋ということ。当時、続々と渡来した南蛮の文物は、彼らの格好の文化的アクセサリーとなった。鉄砲をいちはやく合戦に導入し、緋(ひ)色のマントや頭巾、羽飾りのついたビロードの帽子で着飾った信長の姿には、まさにかぶき者の面目躍如たるものがある。
西洋の食べ物、飲み物も信長のお気に入りだった。パンを喜んで食べたと伝えられている。
永禄12年(1569)春、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは京に信長を訪ねて布教の許可を得、そのとき金平糖入りのガラス瓶とろうそく数本を贈った。2年後、元亀2年(1571)、肥前の大村純忠が長崎を開港、人の往来とともに「南蛮菓子」の伝来がしげくなる。パンもまたカステラ、ボウロ、ビスケット、カルメラなどとともに南蛮菓子として当時の人々に物珍しく迎えられたのだった。
ちなみに、宣教師たちは布教の際に、これらの南蛮菓子をなかなか効果的に利用したらしい。『太閤記』には「(ばてれんは)下戸にはかすていら、ぼうる、かるめひら、あるへい糖、こんへい糖などをもてなし、我宗門に引入る事、尤(もっと)もふかゝりし也」などというくだりがある。上戸にはワインなどを飲ませたそうだ。 |
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