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パンのこぼればなし
メディチ家とフランスパン
美食が文化の代名詞なら、ルネサンス期がパンの文化度急上昇の時期であったことは不思議ではない。すでに15世紀半までにパン屋のギルド(同業者組合)が発達して他をリードしていたイタリアの製パン技術は、ルネサンス文化というパンがまの中で大きく膨らんでいった。あのフランスパンも、もとはといえばルネサンス・イタリア仕込みのものなのだ。

イタリアからフランスへ─この製パン技術の移動に登場する14歳の少女がいる。カトリーヌ・ド・メディシス。ルネサンス文化の中心地フィレンツェに君臨したメディチ家で富と政略と美と陰謀を友に育ったこの娘は、兄アレッサンドロが市民の悪評のなかでフィレンツェ公の位を得た翌1533年、フランス王フランソワ1世の第2皇子アンリのもとへ嫁がされ、のち夫の即位によりフランス王妃となる。イタリアの製パン技術は、このカトリーヌの結婚につきそっていった多くのパン職人たちによってパリに持ち込まれたのだった。

カトリーヌはメディチ家の血筋にふさわしく政治の技術と美食の楽しみを追求した。“サン・バルテルミーの虐殺”の陰の演出者は、同時にチュイルリー宮建造のよき理解者であり、男性に占められてた宴席に夫人のためのいすを用意し、銀の食器とナイフとフォークのエレガントな使い方をフランス社交界に広めた名ホステスだった。

パンだけではない。カトリーヌがフランスへ橋渡しをしたのは、いわば小麦粉文化そのものだった。西洋松露(トリュフ)のソースの調理法をフランス人に伝授したイタリアの料理人たちは、デザートのいろいろを豪華なメニューにつけ加えた。ワインの香るサバイヨンも、フランジパンクリームのタルトも、フィレンツェの金満家の血を引いた14歳の少女を抜きにしては語れないのだ。
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