キリスト教の長い歴史のうちには、まさかと思われるような俗信が力をふるった時代もあった。心のなかではなくこの目で現実に神の奇跡が行われるのを見たいという、人々の素朴な信仰心も手伝ってのことだろう。
イエスがあの受難の前夜、最後の晩餐のテーブルで12人の弟子たちに与えたパンは、血のように赤かった─という話もそのひとつである。私たちの罪をあがなうためにイエス様が流された血によって染まった赤いパン、これがそれだと“実物”までヨーロッパのどこかでは現れた。
奇跡の赤いパン、多分それは「霊菌」という名の雑菌の仕業に違いない、というのが現代の細菌学者の見解である。この菌は空気中いたるところにいて、食べ物によく生える。顕微鏡でとらえると1ミクロンくらいの鞭毛(べんもう)をもっているのがわかる。湿ったパンに霊菌が繁殖するとプロディギオシンという色素を出し、たしかに血のような赤いパンに変わる。
この霊菌、きわめて繁殖力が強い。また、細菌の性質を調べるために寒天などにうえると、固形の寒天がたちまち液体になってしまう。これはこの細菌がたんぱくを分解する酵素を盛んに分泌するからだ。現代の科学はこのたんぱく分解酵素に注目した。その酵素を抽出した。この酵素はさまざまな動物実験や臨床結果から抗炎症の効果的な薬と認められた。
アオカビからペニシリンが生まれた話は有名だが、“奇跡のパン”を赤く染めた細菌から抗炎症剤が誕生したわけである。 |
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