第2次大戦が終わり、日本にマッカーサー司令部があったころ、GHQの天然資源局にサルモンという麦の専門家がいた。日本の小麦研究のメッカ、京大の木原研究所にもやってきたこの人の手で、数多くの日本小麦品種が集められ、本国へ運ばれた。中に<小麦農林10号>の、背の低い、まるでダルマさんのようにズングリとした姿もあった。
たしかに<フルツダルマ>と<ターキーレッド>の交配から、大正年間、岩手の農業試験場で生まれ、昭和10年<農林10号>の背番号で主に東北地方の麦畑で育てられたこの小麦は、草丈が低く、多肥にも強くて倒伏せず、収量の多いという頼もしい品種だったが、といって注目を浴びるような人気があったわけでもない。
日本産小麦<農林10号>の姿に注目したのはアメリカの育種家たちだった。まず1961年、これを一方の親として背丈の低い新品種<ゲインズ>を作成、次いでそのわい性遺伝子をメキシコの春まき小麦に移して一連の新品種をつくりあげた。メキシコに置かれた国際トウモロコシ・小麦研究所から、この新品種はインド、パキスタン、ネパール、地中海沿岸へと導入されていく。草丈90〜120cmという見たこともないような背の低い、頑丈な小麦はめざましい多収によって第3世界の農業生産拡大に大きく貢献、それは“緑の革命”とさえもてはやされた。1970年、このプロジェクトの成功によって前記研究所のボーローグ博士らはノーベル賞を受賞する。
世界の食糧問題の解決に一歩を進めた“緑の革命”の知られざる立役者─ダルマさんもなかなか味なことをやる。 |
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