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てんぷらのなぞ
 首のない海老うどん粉ヘ突っこまれ 林風

グルメの方には申しわけないが、てんぷらを小麦粉のアングルから見ると、この句のとおりとなる。

念のためつけ加えると、うどん粉とは小麦粉のこと。明治の中ごろから輸入が増えたアメリカ産小麦粉を当時の人はメリケン粉と呼び、在来の国産小麦粉をうどん粉と呼んだものだが、いまはどちらの呼び名も消えかかっている。でも「薄力粉へ突っこまれ」では川柳にならないのはたしかだ。

話を戻して、てんぷらの命名者は江戸の戯作者山東京伝だという話は有名である。京伝の弟京山の近所に上方から移ってきた利介という男がある日、京伝に、大阪ではつけ揚げというのがあるが、こちらにはごま揚げの売りはあっても魚の揚げものがない、夜店で売ろうと思うのだが「行灯(あんどん)に魚のごまあげとしるさんもなにとやらまはりどほし。なにとか名をつけて玉はれ」と頼むのに、京伝ちょっと思案して「天麩羅」と書いて見せ、あんたは天竺(てんじく)浪人だ、それがふらりと江戸へ来たのだから、天ぷらだ。

「是に麩羅といふ字を下したるは麩は小麦の粉にてつくる、羅はうすものとよむ字なり。小麦の粉のうすものをかけたといふ事なり」…

『北越雪譜』が京山が亡兄・京伝の思い出として語ったと伝えているエピソードだが、実はこの話を信用している専門家はいない。

南蛮料理として「てんぷらり」の名は、すでに寛文12年(1672)刊の『料理献立集』ほか江戸の前期から料理関係の書物に顔を出しているし、寛延元年(1748)に出された『歌仙の組系』にはちゃんと「てんぷらは何魚にても温飩(うどん)の粉まぶして油にて揚るなり」という記述もある。京伝が生まれる13年も前のことで、だから彼は「てんぷら」という言葉がすでにあったことは知っていたはず。それを「天麩羅」と書いて、しゃれてみせただけで、新しいネーミングだと大喜びしたのは何も知らない京山と利介だけだったのだろう。

といっても、てんぷらの語源がしかと確定しているわけでもない。獣鳥肉は食べず魚肉で精進潔斎する日を意味するスペイン語・イタリア語のtempora(テンポラ)から来た、調理を意味するポルトガル語のtempero(テンペーロ)から来た、あるいはテンペロ画の絵の具をスペインではテンプラというがそれにはラテン語の「混合物」「かきまぜる」という意味が含まれている、さてはまた長崎の南蛮人が魚を調理している煙を見た日本人が「テンプル(寺院)はきょうもごちそうだ!と叫んだのが始めである…などなど諸説粉々としているのは、やはりころもに小麦粉を使うせいだろうか。
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