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パスタのこぼればなし
マルコ・ポーロがパスタの父になれないわけ
マルコ・ポーロはパスタの父である…という説がある。

スパゲッティやマカロニを総称していうイタリアンパスタのルーツは中国、そしてそれをヨーロッパに伝えたのはあのマルコ・ポーロだ、という。13世紀の偉大なベネチア人が夢の彼方、東方から持って帰った食品はスパイスだけではなかったのだ。

ポーロのキャラバンが中国のとある村に滞在中に、一行のひとりで船乗りの男が村娘と恋仲になった。出発の日が訪れ、男は別れを告げに娘の家を訪れる。娘はパンを焼こうと小麦粉をこねていた。話を聞いた娘は気を失う。パン生地は台からこぼれ落ち、男に介抱された娘が気づいたとき、細いひものようになって乾いていた。白く硬く乾いた小麦粉でできたひもを、男はたいせつに故国イタリアに持ち帰った―これがパスタ発祥の由来である。

1929年にアメリカの業界誌『マカロニ・ジャーナル』はこんな秘話まで伝えている。中国に着いたマルコ・ポーロが水夫のひとりに水を探してくるようにと命じた。水夫は現地の男女が熱湯でゆでた長いひものようなものを食べているのに会い、その製法をひそかに教わり、西方に持ち帰った。なんとその水夫の名はスパゲッティだった!

実は─これらは全部、フィクションに過ぎない。マルコ・ポーロが帰国後、いまでいうルポライター、ピサのルスティケロに話して『東方見聞録』をまとめさせたのは1298年。ところが、それより19年前の1279年にすでにイタリアには「マカロニ」についての記録が存在したのだ。同年2月2日、リグリア地方の公証人ウゴリーノ・スカルパがポンティオ・バストーネなる軍人の財産目録を書いている。そのなかに「マカロニ保存箱1個」の記述がある。リグリアといえばラザニェのような平ったいパスタがよく食べられていた土地である。

─こう考えてみてはどうだろう?中国人がうどんをつくったように、イタリアの土地でパスタが生まれたとしても、なんの不思議もないのではないか。小麦粉を水で練る、何か道具を使って平たく伸ばして細く切り分ける。それをまだ軟らかいうちにか、日干しで硬く乾かしてからか、ゆでて食べる。考えられそうなことではないか。古代エルトリアの遺跡のしっくい壁には、こね台、めん棒、ナイフなどパスタづくりの道具の絵が認められるという。ただ、マッシモ・アルベリーニ氏が〈パスタ小論〉でいうように「イタリアおよび世界の各地において、めん類がいつ発生したか、その起源については諸説紛々、確かな証拠はひとつもない」のである。
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