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1814年9月から1815年6月までえんえんと続けられたウィーン会議は、フランス革命やナポレオン戦争で疲れきったヨーロッパの病状を回復させるのにはあまり成功しなかったようだが、すばらしい映画を1本とすばらしいチョコレートケーキをひとつ生んだ。映画は「会議は踊る、されど進まず」という当時の有名な言葉をそのまま題名にいただいて後年つくられたオペレッタ映画の古典的名作<会議は踊る>。ケーキはときのオーストリア全権メッテルニヒが会議をなんとかスムーズに進めたいと腐心のすえ、司厨(しちゅう)長エドワルト・ザッハに、かつてだれも食べたことがない料理をつくるようにと命じた結果、誕生したというザッハトルテ。
ザッハトルテを前にしたとき、会議に出席した並みいる面々が発した声は、「贅沢!」の一語だった。ケーキの表面を飾っているのはショコラーデングラズールただそれだけ。ショコラーデングラズールは、チョコレートシロップを練ってつくるが、きわめて高度のテクニックが必要とされている。と、こう書くと贅沢なのはその技術のようだが、実は人々は、潤沢に使われているチョコレートと砂糖に感嘆の声をあげたのである。まずチョコレート、その原料のカカオ豆はメキシコでは神の食料といわれるくらい貴重なもの。そして砂糖は、一般庶民には医薬とされ、ともに当時は高価で簡単に手が出る代物ではなかった。これほど高価で、完璧な美しさとおいしさを誇る菓子が他にあっただろうか、と列席の各国代表はほめそやしたのだった。
進まない会議もいつかは終わる。やがてザッハはオペラ座のすぐ裏通りにホテルを開き、そこで銘菓ザッハトルテを売ることになる。菓子好きのウィーン市民がつめかけたのは当然だった。
ところがこの菓子、あるとき同じウィーンのデメル菓子店の店頭にまったく同じ姿、同じ味で卒然と現れたのである。デメルといえばザッハホテルに劣らぬ由緒ある菓子店。店内はロココ調の優雅さを誇り、ひいき筋にはオーストリア皇帝も名前を連ねている。この菓子店にザッハトルテが登場するとは!驚き怒ったのはザッハホテル。元祖争いは裁判所にまで持ち込まれた。事の真相は単純、ザッハの息子とデメルの娘が結婚し、そのときレシピが流れたというもの。しかし裁判にはなんと9年もの長い歳月が費やされた。
判決はほぼ引き分け。これは大方のウィーン市民も予想したことだった。今日、両者の違いは、ザッハホテルのほうにアプリコットジャムが挟んであることである。
ところで、この話はこれで終わらない。このデメルで菓子づくりの修業をした最初の日本人、横溝春雄さんの話によると、ザッハホテルに保存されている1888年の記録に「この菓子は1832年に生まれた」とあるというのだ。となるとウィーン会議の銘菓の伝説はどうなるのだろう?こう聞くと、横溝さんは答えて、「だいたい菓子の生い立ちに定説があるのを聞いたことがない」と。 |
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