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マドレーヌ物語
「マドレーヌの日は、クルミの実が一杯、ブドウは甘くなり、倉には小麦」

とフランスのことわざにある聖女マドレーヌの日は7月22日。刈り入れは終わった。さあ、麦打ちが始まる。

あの小さい貝殻の形をした甘くてかわいい焼き菓子マドレーヌが、収穫の喜びと果物の香りにあふれたこの聖女マドレーヌの祝日に由来する─のならいいお話なのだが、事実は違う。このお菓子の名は、多分1700年代半ばにそれをつくったペロ多分1700年代半ばにそれをつくったペロタン・ド・バルモン夫人付き女料理人マドレーヌ・ポールミエの名を付けたもの、というのが定説。

話せば長い話になるが、フランス王のルイ15世の王妃マリー・レクチンスカという人がいる。名の示すとおりポーランド生まれである。夫ルイ15世はポンパドール夫人にお熱をあげて政治にまでくちばしを入れさせる始末、王妃は影が薄い。父ポーランド王レクチンスキーはいろいろとおいしいパイ料理やケーキを娘のもとへ届けては、夫フランス王に食べさせるようにすすめた。せめて甘いお菓子で王の心を娘のほうへなびかせたいという父親の心遣いである。マドレーヌもそうしたレクチンスキー王推薦の銘菓のひとつであった…という物語がある。マリー・レクチンスカはこのパン菓子がたいそうお気に入りだった。が、ベルサイユ宮での王妃のお茶の時間はさみしいものであったようだ。

1913年、マルセル・プルーストがパリ市オスマン通り102番地のコルク張りの部屋で書きあげた<失われた時を求めて>の第1巻<スワン家のほうへ>の冒頭で、主人公の「私」が遠い少年の日の記憶を思い出し“時のパノラマ”へ分け入っていくきっかけとなる1杯の紅茶─そのお茶にひたして食べた「小づくりの、まるくふとった」菓子の名も、マドレーヌだった。
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