饅頭。
マンジュウではなく、ここではマントウと読んでいただく。
宋代の『燕翼詒謀録(えんよくいぼうろく)』にいわく、「包子(パオズ)は饅頭の別名なり、あるものは餡(あん)あり、あるものは餡なし、蒸して食するもの、これを饅頭という」。小豆餡入りの豆沙(ドウシャ)包子、肉入りの肉(ロウ)包子など包子にも各種あり、いわばあんまん、肉まんの如きもの。華北などでは主食代りに食べている。
かつて─諸葛亮(しょかつりょう)孔明が雲南の蛮王、孟獲(もうかく)を討ちに濾水(ろすい)に至ったが、風波激しく渡れない。蛮地の風習に従って「川を渡るには49人の人間の頭と牛羊を供える」ことを勧められるが、名宰相、部下の兵士の首の代わりに小麦粉を練ったもので羊や豚の肉を包み、人頭の大きさにしたものを祭壇に供えて、波を静めた。
これを「蛮頭(マントウ)」と呼んだが、食べ物の名としてはよくないので「饅頭(マントウ)」に転じたというのが、マントウの由来。もっともそれ以前から孔明の蜀の国ではマントウが食べられていたらしいし、インドの菓子マンターを語源とする説もあって、このあたりさだかではない。
宋代の随筆にこういうのがある。マントウを腹いっぱい食べてみたいと考えた貧乏書生が一計を案じ、マントウ屋の前で大声をあげて倒れる。ビックリしたおやじがわけを聞くと、書生は「マントウがこわい」という。おやじは確かめてみようと、マントウを用意した部屋に書生を案内し、ようすをうかがう。すると書生はマントウをパクつきはじめ、あっというまに半分以上平らげてしまったではないか。部屋へ飛び込んで問いつめるおやじに、書生は「見たとたんにこわくなくなった。今度はお茶がこわい」
落語の「まんじゅうこわい」のルーツは「マントウこわい」だったのだ。 |
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