うどんと精進料理─あまり関係ないようだが、実は関係があった。
天武天皇3年(674)、仏教の戒律に従って殺生肉食を禁じる詔が下されてから明治5年(1872)の解禁まで1200年、この国では肉食は「穢(けが)れ」のもとだったが、その間、このタブーに最も忠実な一群の人たちがいた。平安貴族たち。もののあわれに染まり、この世を無常と見、彼岸での救いをあこがれた彼らは、極楽浄土へのパスポートとしてさまざまな「物忌(ものいみ)」を自らに課して「穢れ」を防ぐことに心をさいた。
夢見が悪いといっては柳や桃の木を削って「物忌」と書きつけ、忍草の茎に糸で結わえて差して、ひっそりと門を閉じた。『土佐日記』のなかで紀貫之は船中、爪が伸びたので切ろうと思ったが、日を数えてみると忌むベき日だったので切るのをやめた。食生活にもこと細かなタブーがあった。獣肉はもちろん、魚や鳥も日によっては禁止である。禁止食の定めはニラ、ネギ、ニンニクなど強いにおいを発する食べ物にも及んだ。逆に、ある定められた日には必ずとらねばならない食べ物もあった。
そういう精進食にちょうどいいのが、うどんだった。うどんのほかにも、そうめん、きしめん、こういった小麦粉加工食品は強いにおいもないし、肉も使わない。「穢れ」のない食べ物として平安貴族の精進日のメニューに採用されたわけである。このころのめん類は塩辛風の調味料「醤(ひしお)」や塩汁などをつけて食卓に供された。
平安時代の精進食はのち禅宗寺院の精進料理として様式化されていくのだが、それはさておき、あのどこかのんびりとしたうどんがきわめて精神的(スピリチュアル)な食べ物である時代もあったのだ。 |
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