こむぎ粉くらぶ/ご当地粉料理カタログ

関東

餃子

宇都宮

今ではすっかり「餃子の街」として定着した栃木県宇都宮市。知る人ぞ知る「餃子のビーナス」が旅人を迎えてくれるこの街では、なんと200ものお店で餃子を食べさせてくれます。
宇都宮餃子の歴史は、戦争中、北京で覚えた餃子の味が忘れられずに故郷・宇都宮に戻って開業した一軒の餃子屋さんに始まると言われます。宇都宮に駐屯した第十四師団の師団員たちが戦地で覚えた餃子の味がやはり忘れられず、このお店にどっと押しかけるようになりました。寒暖の激しい土地柄ゆえスタミナ食が求められたこと、材料となる小麦粉やニラなどの野菜が多く収穫されたことも、宇都宮に餃子が根づいていった要因と言えるでしょう。
時は流れて平成3年。なにか街おこしになるネタがないものかと資料をひっくり返していた若い市の職員が、宇都宮が餃子消費量日本一だったことを突き止めます。翌年、宇都宮餃子会発足、宇都宮餃子のPRに努めます。それから後はトントン拍子で、テレビで紹介された次の日は県外からの客がずらーっと列をなす盛況ぶり。平成17年夏には餃子のテーマパーク「宇都宮餃子共和国」もオープンしました。
地域コミュニケーションの一環として発展した宇都宮餃子の味に、「おいしい」ということ以外の特長は見いだせないかもしれません。ある老舗はビールもライスも置かずに、ただ餃子だけで勝負し、あるニューウエーブ店は、激辛やチーズ入りなどの創作餃子で対抗します。そうして今日も、宇都宮の人気餃子店には長い人の行列ができています。

佐野ラーメン

佐野

写真提供:佐野市観光協会

栃木県佐野市と言えば「佐野厄よけ大師」が有名ですが、最近はご当地ラーメンも人気で、市内200軒以上ものお店で食べられるという「佐野ラーメン」(佐野市では「佐野らーめん」という表記が一般的)を求めて訪れる観光客が多くなっています。
ここ佐野市は、「出流原(いずるはら)弁天池湧水」が日本名水百選にも数えられているとおり、清らかな水系に恵まれています。また、良質な小麦粉がとれたため、おいしいラーメンづくりのための好条件がそろっており、大正の初めごろにはすでに現在の「佐野ラーメン」の原型となるラーメンが食べられたと言います。
その特長は、何と言っても、青竹打ちのちぢれ麺にあります。中国広東省出身の職人から伝えられたというその技術は、長い青竹に片足をかけながらリズムよく生地をのばしていくもの。この製法により、生地に多くの水分を封じ込めることができ、生地の中には無数の気泡ができます。このため、独特の舌触りとコシの強さが生まれます。澄んだスープは、鶏ガラなどがベースのしょう油味。あっさりとしていて飽きがこず、食感豊かな麺とよくマッチします。

耳うどん

佐野

写真提供:佐野市観光協会

「耳うどん」とは、なんとも奇抜なネーミングのうどんですが、その正体は、小麦粉生地をうすく延ばして長方形に切り、指でひねって耳の形に成形したうどんのこと。栃木県葛生町を発祥とする麺料理で、「佐野ラーメン」で有名な佐野市の名物となっています。麺線状ではないため、うどんというよりは、ワンタンといった感じですが、なぜ「耳」なのでしょうか?
この「耳」は、人間の耳ではなく、鬼の耳に見立てたもので、正月三が日にこれを食べれば、その1年間を無病息災で過ごせるという言い伝えなのだそうです。また、耳を食べることで悪口が聞こえなくなり、ご近所と円満にいくという説もあるとか。しょう油仕立ての汁には、鶏肉や卵、たっぷりの野菜を入れることが多いようです。さながらお餅の代わりに耳うどんが入った雑煮のようで、ハレの日の食事にふさわしい郷土料理と言えるでしょう。

太田焼きそば

太田

写真提供:太田市商業観光課

静岡の「富士宮焼きそば」、秋田の「横手焼きそば」に次ぐ“第3の焼きそば”として注目されているのが、群馬県太田市の「太田焼きそば」です。ここ太田市は戦後、自動車産業などの工業都市として発展しましたが、そのことが「太田焼きそば」の発祥と関係していると言います。全国から出稼ぎに出てきた従業員のための、安くておいしい手軽な食事が焼きそばだったというのです。東北秋田の出身者によって「横手焼きそば」が伝えられたという説もあるそうです。
「太田焼きそば」には、「横手焼きそば」のように麺(ストレート麺)や具(ホルモンなど)にこれといった明確な特長はありませんが、麺は太めのモッチリ麺、具材はシンプルにキャベツのみというお店が多いようです。また、まるでイカスミのように真っ黒いソースで、インパクトじゅうぶんな焼きそばを提供している人気店もあります。
平成14年には、太田市観光協会が中心となって「上州太田焼そばのれん会」が発足し、焼きそばマップを発行しているので、マップ片手に食べ歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。

おっきりこみ

群馬

写真提供:群馬観光物産プラザ

「おきりこみ(お切り込み)」「にぼと(煮ぼうとう)」とも呼ばれる「おっきりこみ」は、群馬県や埼玉県北部(特に秩父地方)の年配の方には懐かしい郷土料理です。「かかあ天下とからっ風」が有名な上州。働き者のお母さんたちが農作業を終えた後に、畑の野菜と、かの地で採れた良質な小麦粉でつくった太い麺を、いろりの大鍋の中に切っては入れ、切っては入れしたのが、その始まりと言われます。
山梨の「ほうとう」と同様、耳たぶよりも固いくらいにこねた生地をいったんねかせ、うどんよりも幅広に切った麺を、野菜と共に鍋の中に直接入れて煮込んでいきます。生地をこねるときに塩を加えないのは、すいとんやほうとうと同じ。このためグルテンの形成がゆるやかになり、うどんよりもモチッとした食感に。また、麺には野菜の汁がしみこみ、汁のほうにはとろみがついて、冬にはもってこいのアツアツの鍋物になります。
ほうとうとのちがいは味付け。ほうとうがみそ仕立てメインなのに対し、おっきりこみはみそ味のほか、しょう油味に仕立てることも多いようです。また、ダイコンやニンジン、サトイモ、ゴボウ、ネギなど種種雑多の野菜を入れるのは同じですが、ほうとうのようにカボチャやアズキを入れることはあまりないようです。
「けんちんうどん」も見た目は似たような感じですが、麺を別にゆでるけんちんうどんに対し、おっきりこみは生のまま汁で煮込みます。一口すすれば、おっきりこみはトロッとしていて、まるでちがったものに感じられるでしょう。

いがまんじゅう

埼玉

写真提供:加須市役所

「いがまんじゅう」という、あまり聞きなれないまんじゅうは、埼玉県北部ではお祝い事には欠かせないまんじゅうとして、かつては家庭でもよくつくられていました。裏作で小麦を栽培してきたこの地域では、「加須うどん」のように小麦食がよく食べられますが、この「いがまんじゅう」にも小麦粉が使われています。
この「いがまんじゅう」、一見すると、あんこを餅米で包んだ「おはぎ」に似たもののように見えますが、実は、餅米の中には、小麦粉や砂糖をねった生地でつくったまんじゅうが入っています。あん入りのまんじゅうを赤飯で包んで蒸し上げてつくります。素朴な味わいのこの郷土菓子、一説には、お祝いの時に赤飯とまんじゅうの両方をこしらえるのが大変だったから、思い切って一緒にしてみた嫁の知恵だとか。その名は、栗の「いが」に似ているところからつけられたんだそうです。
愛知にも同名のまんじゅうがありますが、こちらはあんこを包んだ米粉のまんじゅうに、赤や緑、黄色に色づけされたカラフルな餅米をのせて蒸したもの(皮自体を色づけしたものもあります)。桃の節句によく食べられるお菓子だということです。

加須うどん

加須

写真提供:加須市商工会

埼玉県加須(かぞ)市周辺では、利根川の豊かな水系の恵みにより、米の裏作として大麦や小麦が生産されました。米は年貢として取り立てられたため、農民の主食はもっぱら大麦の麦飯。たまに食すことができるうどんがたいへんなごちそうであったため、この地にうどんの食文化が築かれたと言われます。およそ200年前(江戸時代半ば)には既に手打ちうどんの店があったという記録も残っており、古い歴史があることを物語っています。
冠婚葬祭や祭りなど特別の日には各家庭で必ずうどんを打ったそうで、そんなことからも「加須うどん」の手打ちの技術は向上してきました。その特長は、手打ちであること。「足踏み」や「ねかせ」といった作業に通常のうどんづくりよりも多くの時間をかけることで独特のコシの強さを、また、水分をやや多めにすることでツルリとしたのどごしを生みます。
ゆでたてを水洗いし、あっさりめのおつゆでいただく冷たい「もりうどん」が人気ですが、市内に40軒ほどあるうどん屋さんでは、ゴマ風味や味噌味など、さまざまなアイデアメニューがいただけます。さらに、夏は細め、冬は平打ちのひもかわ状といった具合に、季節に合わせて麺の太さを変えるこだわりのお店が少なくないというのも、歴史に裏打ちされた高い技術をうかがわせます。

行田フライ

行田

写真提供:行田市観光商工課

埼玉県行田市のご当地メニュー「行田フライ」をご存じでしょうか。市民には「フライ」と呼ばれ、愛されているこの食べ物、エビフライやアジフライのような揚げ物ではなく、写真のように「お好み焼き」に近いものです。足袋産業がさかんだった明治~昭和の女工さんたちに人気があったのだそうで、フライパンで焼いたから「フライ焼き」、それが単に「フライ」になったという説があるようです。
水で溶いた小麦粉を鉄板の上に薄くのばし、ネギや豚肉、卵などの具をのせ、ひっくり返してまた焼いたら、ソースかしょう油で味付けしてできあがり。まさにお好み焼きのようですが、キャベツは入らないことが多く、薄くてモチモチとした生地は、クレープや、韓国料理のチヂミを思わせます。行田市内では30軒を超えるお店で、この行田フライを食べることができ、市の商工観光課では「フライマップ」も配布しています。
ちなみに行田では、「ゼリーフライ」という食べ物も人気です。こちらは、おからにジャガイモや野菜のみじん切りを混ぜたものを、衣を付けないで揚げたのち、ソースにくぐらせたもの。小判型をしているから「銭フライ」、それが変化して「ゼリーフライ」という名前になったとか。いずれもおやつ感覚で気軽に食べられる、庶民の味方と言えるでしょう。

たらし焼き

秩父

写真提供:秩父農林復興センター

埼玉県の秩父地方を中心に、農作業の合間や小腹がすいたとき、またお茶うけとしてよく食べられた小麦粉料理が「たらし焼き」。今のようにお菓子がなかった時代、おやつの定番としてよく食べられたそうです。
つくり方はいたって簡単。小麦粉に味噌、細かくきざんだネギや青ジソを加え、水で溶いたら鉄板にたらし、こんがりと両面を焼くだけ。生地をたらして焼くから「たらし焼き」と呼ばれるようになったようです。
今でも根強い人気があるようで、しょう油や砂糖、ゴマなどで味付けを変えてみたり、桜えびや、ふきのとうなどの旬の野菜を混ぜこんだりして、各家庭の味として引き継がれています。お好み焼きほど手間がかからないので、ホットケーキのような感覚で、小ぶりの「たらし焼き」を何枚も焼いて、おやつタイムなんていかがでしょうか。具材はあまり多くせず、素材本来の味わいを活かすのがコツですよ。

たい焼き

東京

日本全国、どこでも食べられている「たい焼き」は、東京・麻布のお店が1909年に最初に売り出したというのが定説。ベースとなったのは「今川焼き」で、最初は亀の形をつくりましたがヒットせず、後に“おめでタイ”からと鯛の形にしたところ、これが飛ぶように売れ始めたのだと言います。
当初は“一匹”ずつしか焼けない金型でしたが、後になって一度に複数が焼ける金型が登場。たい焼きファンの間では、前者を「天然物」、後者を「養殖物」と呼んでいます。焼き方や火の通り方が異なるため、味もちがうのだそうです。
典型的なイメージでは、尾の部分までギッシリつまった小豆あんに、カリッと香ばしい小麦粉で作った皮。ですが最近では、中身は黒あんに限らず、白あん、桜あん、抹茶あん、カスタードクリーム、チョコレートクリームなど多種多様。また、最近はタピオカ粉などを混ぜて、モチモチ食感にした白い皮のたい焼きも人気です。2009年、誕生から100周年を迎えたたい焼きは、「およげ!たいやきくん」の歌がヒットした1976年以来の大きなブームとなっています。

もんじゃ焼き

東京

水で溶いた小麦粉にウスターソースで味付けをし、キャベツや揚げ玉、キリイカ、桜エビなどを混ぜ込んで鉄板に流し出すと、ジューッと景気のいい音が立ち、香ばしい匂いが店内にただよいます。キャベツの土手をつくって残しておいた汁を流し込み、ぶくぶく泡立ってきたら全体を一気に混ぜ合わせましょう。「ハガシ」と呼ばれる小さなコテで生地を押さえつけます。ハガシに張り付いてきたもんじゃには、おいしそうなオコゲが…。
東京名物「もんじゃ焼き」は明治時代、東京下町の駄菓子屋で、七輪の上に鉄板を乗せ、水溶きの小麦粉で「いろはにほへと」のような文字を、子どもたちに教える目的で書きながら焼いた「文字焼き(もじやき)」が進化したというのが定説になっています。もんじゃ焼きが大人向けの食べ物になったのは1960年前後。80年代には、明太子、納豆、カレー、スナック菓子など、具の種類が一気に増え始め、マスコミの取材と相まって東京名物の地位を確立していきます。なかでも月島や浅草が有名で、特に月島には、狭い区域に70軒以上のもんじゃ屋さんがひしめきあっています。どんなお店でも、気軽に立ち寄って、ビールとハガシを両手にワイワイやる感じが、もんじゃの楽しみのひとつです。

鍋焼きうどん

東京

ぐつぐつと煮え立つ土鍋に、エビの天ぷら、ネギ、シイタケ、カマボコ、卵焼きや月見玉子、お麩といった、とりどりの具。芯から体を温めてくれる「鍋焼きうどん」は、寒い冬に食べたくなる定番料理のひとつです。
鍋に入れたままのアツアツをふうふうと冷ましながら食べる鍋焼きうどんの発祥ははっきりと分かっていませんが、大阪を舞台にした幕末の芝居『粋菩提禅悟野晒(すいぼだいさとりののざらし)』に、「鍋焼きうどん」という言葉がすでに登場していると言います。明治11年頃の東京・深川で大流行したという説もあり、明治13年12月の新聞には、鍋焼きうどん屋が東京で大流行中との記事が残されているとのこと。夜鷹そば(夜そば売り)に変わって現れたとのことなので、寒い街頭で食べられることが多かったのでしょう。
一般に、鍋焼きうどんと言えば一人用の土鍋でいただくことが多いようですが、愛媛県松山市の鍋焼きうどんは、一人用のアルミの鍋で供されます。麺はやわらかめ、おつゆはやや甘めに味付けされています。市内、120軒ものうどん屋や食堂で食べられるという、松山の鍋焼きうどんは、エビ天ではなく、味付けした牛肉などを具にしているお店が多いようです。

シュウマイ

横浜

「シュウマイ」の本場はもちろん中国。北京など北部では「焼売」、上海など南部では「焼麦」と表記します。シュウマイが日本に伝えられたのは定かではありません。室町時代以降という説もあるようですが、一般に食べられるようになったのはずっと時代をくだって、長崎や横浜の中華街で供されるようになってからと思われます。
さらに全国にその名が知られるようになったのはもっと後で、横浜の有名店が1950年、横浜駅のホームに中国風の赤いドレスを着た女性を登場させ、シュウマイを売り出したことに始まります。タスキをかけ、シュウマイの入ったカゴを下げた女性たちの姿は、連日のようにメディアを賑わせます。やがて、このシュウマイを売る女性がヒロインとなる小説が新聞に連載され(獅子文六「やっさもっさ」)、後に映画化されるにいたって、シュウマイは「横浜名物」としての地位を一気に確立することになったようです。
小麦粉を主体とした四角い薄皮に、豚の挽き肉や野菜、好みによってエビ、カニなどを加えた餡を包み、蒸籠で蒸し上げてつくるシュウマイ。できたてのアツアツがいちばんですけど、電車に揺られながらほおばる、冷めたシュウマイというのもなかなかオツなものです。

佐島のへらへら団子

横須賀

写真提供:横須賀市経済部農林水産課

2007年12月、農林水産省が発表した「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれ、マスコミなどに注目されたのが、神奈川県横須賀市の「へらへら団子」。横須賀市佐島地区に江戸時代より伝わる伝統的な料理です。毎年7月に行われる佐島の船祭りのときに、市指定重要無形民族文化財の「佐島御船歌(さじまおふなうた)」、地域特産のマダイとともに奉納されます。今でも、佐島の船祭りのときには家庭でつくられ、豊漁と無病息災を祈願するそうです。なお「へらへら団子」は、同じ神奈川県の座間市でも、農家のおやつとして昔から食べられていたようです。
さて、「へらへら団子」とは、小麦粉と白玉粉の生地を手の平で押しつぶして、平たい団子状にし、ゆでてこし餡をからめたもの。その薄く平べったい形状から「へらへら団子」と呼ばれるようになったようです。餡のほか、しょう油と砂糖でみたらし団子風にしたり、大根おろしをからめていただくこともあるそうで、似たようなお菓子としては、伊豆地方の「へらへら餅」(ゴマ)や、大分の「やせうま」(きな粉)などがあります。

「全国粉料理MAP」は、『小麦粉料理探求事典』(岡田哲 編/東京堂出版)、『日本の味探求事典』(同)などの書籍、官公庁や地域情報などの各種ホームページ、地域住民の方への聞きこみ、弊社資料などによりまとめました。