47都道府県のコナモン
稲庭うどんといえば、絹のような細さとコシで各地にファンも多いですが、江戸時代から秋田県稲庭町(現・湯沢市)だけで作られていた一子相伝の伝統的な乾麺なんです。
平成13年10月には秋田県稲庭うどん協同組合も設立され、約20社が結集して、本場稲庭のうどん製造に励んでいます。
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- 一子相伝の手業と心
- 日本に小麦粉が普及したのは江戸時代。秋田では稲庭村の佐藤吉左エ門が干饂飩(ほしうどん)作りを始め、佐竹藩主の御用製造を開始しました。佐藤養助商店は、明治期には、内国勧業博覧会やパリの世界博覧会に出品し、宮内省御用達に。昭和になると、一子相伝だった製法の技術公開に踏み切ります。昭和61(1986)年には、稲庭うどん専門店を開店。そこから稲庭ブランドが各地に広まりました。
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- 稲庭うどんのつやと弾力に感動
- さっそく「八代目佐藤養助 正心庵」におじゃましました。大釜でゆであげたあと、冷水でしめる手際は一瞬の真剣勝負。束ねた麺の一筋一筋が、繊細でつややかです。絹のような滑らかさと高貴な弾力で、まるで生きているよう。背筋がすっと伸びるような感触の細い麺で、口にふくむとぴちぴちしたイキのよさ。のど越しもたまりません。
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- 稲庭うどんの製造工程
- 店では作業工程の見学も可能。まずこだわりの水と塩水を粉に加え、菊練りした生地をねかせてのばします。生地は季節によって温度や湿度が異なるので、熟練の職人さんが管理。3cmぐらいに切って小巻きしていく様子は、生きているようで生地の動きに見とれます。その後、撚りをかけながら均等の太さに綾がけ。乾燥、熟成などを重ねて完成、4日目にやっと出荷できます。
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- 時代に合わせながら、手作業を守りぬく
- 佐藤養助商店では、300年以上の歴史、技と伝統をどう継承するかが今後のテーマです。手作業を残しつつも、伝統を守るべき部分と合理化できる部分をどう見極めるか。稲庭うどんの技法を、時代の流れにのみこまれることなく、より進化させた形で伝承の技法を守り抜きたい。それは挑戦でもあり、稲庭干饂飩への敬意と愛情なのです。
一子相伝の手業と心

日本の食文化に小麦粉が普及するのは江戸時代中期以降。
奈良時代から伝わる素麺づくりの技術をベースに小麦栽培と小麦粉製粉の技術が江戸時代に広がり、各地で乾麺が製造されました。
秋田では稲庭村の佐藤吉左エ門が、寛文5(1665)年に干饂飩(ほしうどん)の製造を本格的に始め、元禄3(1690)年に佐竹藩主の御用製造を開始。
文政12(1829)年、稲庭吉左エ門以外、稲庭干饂飩の名称使用を禁じられました。
万延元(1860)年、稲庭吉左エ門の四男が佐藤養助家に養子にはいり、二代目佐藤養助として、製法断絶防止のためにうどん製造を開始します。
明治に入ると、内国勧業博覧会で出品。
明治30(1897)年にはパリの世界博覧会に出品し、宮内省御用達となりました。
昭和47(1972)年、七代目が23歳のときに家業を継ぎ、昭和47(1972)年、一子相伝だった製法の技術公開に踏み切ります。
昭和51(1976)年に、稲庭うどん協議会を発足。
昭和61(1986)年7月には、稲庭町稲庭に稲庭うどんの専門店「佐藤養助本店」を開店します。
それまで、贈答品として特別な時にしか使われなかった稲庭うどんが、専門店オープンをきっかけに各地の飲食店で提供されるように。
グルメブームの潮流にのって専門店もふえ、知名度を高めていきました。
また百貨店のギフト商材として、稲庭うどんは高級乾麺として、ブランディングされていきました。
稲庭うどんのつやと弾力に感動



2018年オープンの「八代目佐藤養助 正心庵」におじゃましました。
地野菜のおひたし、煮物のあと、天ぷらが揚がってきます。
が、天ぷらはあくまで脇役。
大釜の湯気が白木のカウンター越しに見えるのですが、ゆであげたあとの冷水でしめる手際は一瞬の真剣勝負。
束ねた麺の一筋一筋が、繊細でつややか。
絹のような滑らかさと高貴な弾力で、まるで生きているようです。
昆布とかつお節のだしに、薄口醤油とみりんで整えたつゆと、胡麻みそつゆ。
どちらも合うんですよね。
まずはそのまま。
背筋がすっと伸びるような感触の細い麺で、口にふくむとぴちぴちしたイキのよさ。のど越しもたまりません。
このまま何本も進みそうですが、醤油のつゆにつけて、じっくりかみしめます。胡麻みそつゆもコクが深くて、たっぷりつけていただきました。

もう一品、だしをかけたものも、のど越しよく、温と冷、どちらも試してみたくなります。
地元の人たちは、鶏だしのなめこうどんがお気に入りといいますが、まさに麺が主役、乳白色の輝きは見事なものでした。
天ぷら 正心庵(夜は要予約)
住所:秋田県湯沢市稲庭町字稲庭81
電話番号:0183-55-8885
定休日:不定休
稲庭うどんの製造工程
佐藤養助商店では、お食事はもちろん、作業工程を見学することができます。
まず清く澄んだ水と厳選された岩塩でつくられた塩水を粉に加え、菊練りした生地をねかせ、のばす作業です。
生地は季節によって温度も湿度もちがうので、塩水の濃さは10年以上の熟練の職人さんが管理します。
のしたあとは、3cmぐらいに切り、小巻きの作業。
生地をころがしながら角をとり、巻きを加えながら、熟成用のたらいに丸くおさめていきます。生きているような生地の動きに見とれます。




2日目は、「手綯(てな)え」という作業。
2本の棒に、撚りをかけながら均等の太さに綾がけします。
さらに1時間程度熟成、手綯いされた8の字のうどんを平たく「つぶし」、けたにかけてのばし、一昼夜乾燥させます。
熟成を重ね、丹念に練り上げた生地には小さな不揃いの気泡が無数に入り、ゆであげたあともおいしい食感を長持ちさせる一因になっています。

時代に合わせながら、手作業を守りぬく




「八代目佐藤養助」を継承する現社長の正明さんにお話をうかがうことができました。
「300年以上の歴史、技と伝統をどう継承するか、ぼくの代ではそれが大きなテーマですよ。昭和から平成にかけて一子相伝の製法をオープンにし、多くのお客さんに稲庭うどんのすばらしさを広めることができました。
ですが、手間のかかる工程なので、昔ながらに、ただこだわって製造するにはやはり限界があるんです。
機械化が進むオートメーションの時代、手作業を残しつつも、製造工程をいかに改良していけるか。いま伝統を守るべき部分と合理化できる部分を見極めているところです」。
日本の乾麺の歴史は、麺文化のなかでも古く重要ですが、その現状を目の当たりにした取材となりました。
稲庭うどんの技法が、時代の流れにのみこまれることなく、より進化した形で伝承の技法を守り抜いていけるのか、それは八代目の挑戦でもあり、稲庭干饂飩への敬意と愛情でもあると感じました。
佐藤養助総本店
住所:秋田県湯沢市稲庭町字稲庭80
電話番号:0183-43-2911
定休日:年末年始
https://www.sato-yoske.co.jp/
参考文献
『稲庭うどん物語』無明舎出版編 2000年
文・写真 日本コナモン協会会長 熊谷真菜 ※2019年9月取材