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コナモンライブラリ

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大阪で生まれた国民的おやつ、たこ焼

大阪の下町、玉出駅近くにある「会津屋」

江戸時代に天下の台所と呼ばれた大阪(当時は“大坂”)は、日本が誇る食都。ここから生まれ育った食べ物は多く、なかでもたこ焼は、大阪の食文化を代表するメニューとして有名に。いまでは国民的おやつとして、世界でも注目されています。

なぜ、たこ焼は大阪で生まれたのか。
だれもが大好きなたこ焼の魅力と秘密、そのルーツをご紹介しましょう。

タコがはいる前の“たこ焼”

大阪・玉出「会津屋」では、数年前に甘辛く炊いた牛すじ入りの「ラヂオ焼き」が復刻された
「会津屋」のラヂオ焼き(12個・600円)は注文の都度、焼いてくれる

紡績や鉄鋼業の隆盛で発展した大阪が「大大阪」と呼ばれ、世界が注目していた昭和初期。各地から集まった労働者とその家族は、毎晩、夜店で飲食するのを楽しみにしていました。そこには「うどん」「おでん」「焼きいも」など、食べ物の屋台がたくさん。そのなかに「ラヂオ焼」という、小さなコナモンがありました。

いまのたこ焼器と同じ大きさのくぼみが刻まれた鉄鋳物(いもの)の鍋を炭火のカンテキ(七輪)にのせます。まず水で溶いた小麦粉を型に流しこみ、醤油で味付けしたコンニャクやえんどう豆を入れ、くるりと返して焼き上げます。

「ラヂオ焼」の由来は、ラジオを聴くための半球状のヘッドフォンに形が似ていたから、ラジオが最先端だったのでその人気にあやかって名づけられた、など諸説あります。

ラヂオ焼きにタコが入る前はコンニャクやえんどう豆だった(写真は「会津屋」のタコ)
こちらはソースをつけないたこ焼(12個・600円)。だしの風味を楽しもう

たこ焼の前身「ラヂオ焼き」はソースも何もつけずに食べていたので、お客さんがたくさん買ってくれるもっと美味しいものを作ろうと、いろんな人が工夫を重ねました。

その一人、会津坂下町(福島県)出身の遠藤留吉さんは、故郷の味をヒントに生地を醤油で味付けし牛すじを入れた「肉焼き」を始めました。そして昭和8年、あるお客さんの「ここは肉かいな、明石はタコ入れとるで」という声を聞き、タコを入れるようになったそうです。

三代目の勝さんと、初代・留吉さんの思い出話に花が咲く。新しい世代が、たこ焼きの味を守り続けている
大学3年でたこ焼研究を始めた頃、何もつけないたこ焼に出会いカルチャーショックを受けた

私のたこ焼研究の第一歩は、この「会津屋」初代・留吉さんへのインタビューでした。二代目、三代目も昭和の味を継承し「会津屋」は当時から続くもっとも古いたこ焼屋さんといえます。

もう1つのルーツといわれるのが「ちょぼ焼」。大正期から西日本を中心に屋台がありました。はがき大の銅鍋に15個のくぼみがあり“たこ焼器のミニチュア版”ともいえます。こちらも大人向けにはタコがはいっていたそうです。

「たこパ」は、お父ちゃんの活躍から生まれた

銅板のたこ焼鍋。熱伝導に優れている

「一家に一台たこ焼器がある」といえば昔は関西くらいでしたが、いまでは各地にこの習慣が広まっています。

大阪にたこ焼屋台が急増した昭和29〜30年代、屋台を見たお父ちゃんがミナミの千日前・道具屋筋で鉄板や提灯を買い、家で子どもにたこ焼を焼くようになり、家庭用たこ焼器が登場。休みの前日には「明日たこ焼するから、お母ちゃん、今晩は天ぷらにしてな」と。天かすが必要なので、わざわざ前日の夕食は天ぷらにして、たこ焼に備えたのでした。

パーティという言葉が、まだ珍しかった時代。「たこ焼パーティをするので来てください」と招待状をもらい、子どもたちはワクワクしたものです。大人になって家庭をもつと、自分の子どもにも家でたこ焼を作りました。この「たこ焼パーティ」は1990年代ごろから「たこパ」と呼ばれるようになり、若い世代にも支持を得るようになります。

進化するたこ焼器

大阪市生野区の町工場「旭進ガス機製作所」。業務・工業用のガス器具を製造している
「旭進ガス機製作所」の吉村健一社長と。たこ焼鍋の変遷について話をうかがう
社長と弟さん。匠の技が、大阪の食文化を支える

ベビーカステラやたこ焼などを作る道具製作の老舗・大阪市生野区「旭進ガス機製作所」吉村健一社長は「鋳物のたこ焼の鍋は15個焼きが主流やったけど、戦後は28個焼きに変わりましたな。焼きあがるのに15分はかかるので、お客さんを待たせないようにと穴をふやしたんです。鍋も鋳物から銅へと変わって、少しでも速う焼けるように道具を改良してきました。昭和20年代後半の高度経済成長のころは、たこ焼器が本当によく売れました。道頓堀にはたこ焼専門店はまだ少なかったけれど、大阪の下町や縁日では、めちゃくちゃ売れてましたね」。

ソース、青のり使いは戦後から

「うまい屋」のたこ焼(8個・400円)。ソースはつけず、そのままいただくのがおすすめ。サクッともっちりの独特の食感

たこ焼の味付けの定番、濃厚ソースと呼ばれるものが生まれたのは昭和23年。それまではウスターソースしかなく、何もつけずに食べていました。野菜と果物をミキサーにかけて調味料を加え、コーンスターチでとろみをつけたトンカツソース。これをフネに並べたたこ焼にぬり、青のり、カツオ節をかけ、爪楊枝で食べる、今のスタイルが生まれました。

味付けという面ではソースに目が行きがちですが、実は「コナモンはだしが命」と言われています。とくにたこ焼は小麦粉を真昆布ベースのだしで溶くのが特長。そのため、最初の1、2個はソースなしで食べて「あ、この店はこんな味やわ」と、だしの味を確認するのも楽しみのひとつ。タコから出るうま味と、小麦粉、だしの味が相乗効果を生むのです。小さな食べ物ですが、その中に美味しさが凝縮されています。

たこ焼は味も大事ですが、決め手は食感にあります。表面の皮、内側のトロッとした食感、それにタコのプリッとした食感。3つの食感が一口サイズにまとまっているのが魅力です。ゆるゆるの生地を何回も返しながら丸くする作業はたいへんですが、それがおいしい食感を生むのです。

大阪・天神橋筋六丁目駅近くの「うまい屋」の味を守る、3代目店主の喜多泰造さん
途中でさらに生地を流し込んで焼く。こうすることで、独特の食感が生まれる
熊谷さん曰く「うまい屋」のたこ焼は3個目から、さらに美味しくなるんだとか。「後味がよく、舌が味に馴染んでくるからです。もちろんソースをつけるのもおすすめです」

世界に広がるたこ焼の魅力

祖父母(写真中央)が立ち上げた味を、父を経て泰造さんが受け継いでいる。本場大阪での技術伝承あってこその、いまの世界的たこ焼ブームなのだ

大阪生まれのたこ焼の魅力を世界に広めていきたいと、2012年「道頓堀たこ焼連合会」が結成されました。「くくる」「たこ昌」「たこ八」「十八番」の各社さんが、イベント限定で4社の生地を合わせた夢のたこ焼を作ります。スペシャルなたこ焼に、地元の人も大喜び。

また、いまでは当たり前の「たこ焼粉」は、実は1980年代生まれ。発売を機に、たこパをする人も増えました。加えて世界が和食に注目する中、たこ焼も「TAKOYAKI」として、世界各国で食されています。ニューヨークには“RAMEN”店が急増していますが、サイドメニューにはTAKOYAKIが。冷凍のものを揚げて出しています。

インドネシアのグスティー・マンクブミ王女は、たこ焼好き。お店までオープンさせています。実はその際、日本コナモン協会もお手伝いをしたんですが、タコを食べなかった彼らが、いまはラマダン(断食)明けにたこパをするというのです。インドネシアとの国交60周年の際は、ジャカルタやジョグジャカルタで日本祭りが開催され、たこ焼の出店もありました。

※商品の価格は2018年5月のものです。

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