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CSRの窓 特集

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「健康と信頼をお届けする」ストーリー

お客様との一言ひとこと。社員同士で交わす何気ない会話。
私たち日清製粉グループが大切にしたいものについて、社員自らがつづったエピソードを通じてご紹介いたします。

お客様に愛され続けるために

あるとき、お客様相談室に
がっかりした声で電話がありました。

お子様がパッケージの説明を見ながら
一所懸命プリンをつくったのに
何時間冷蔵庫に入れても固まらない。

「初めてでも簡単につくれると書いてあったのに…」

品質管理部門が原因を調べたところ、
加熱が不足していたため、成分が溶けきらず、
固まらなかったことがわかりました。

お客様への対応を終えた相談員が
私に訴えてきました。

「お子さんは一所懸命、
つくり方を読みながらプリンをつくったに違いない。
うまくできず、本当に落胆したことだろう。
つくり方の表示がわかりにくかったのではないか。
なんとかするべきです!」

私は同じような声をまとめて
社内の品質改善会議に提案しました。
どのくらいまで加熱をしたらよいのか
お子さんによりわかりやすい表示にするためです。

会議に出席していたメンバーたちは
お客様や私たちの気持ちに共感し、
すぐに検討することを約束してくれました。

「なんて、すてきな会社だろう」

その後、表示の変更が決定したことを
相談員に伝えると
「このお客様が今度プリンを購入してくれたら、
表示が変わったことを喜んでくれますよね」
と、とても感激してくれました。

お客様相談室の仕事をしていると
意気消沈することもあります。

でも、当社グループの製品が
お客様に愛され続けるために、
大切な役割だとやりがいを感じています。

(40代 女性)

まさかのときに心の支えになる

東日本大震災から5ヵ月がたったころ、
お客様から
ていねいな文字で書かれたハガキが届きました。

震災により住まいを失ってしまったけれど、
ようやく仮設住宅が決まったので、
また御社の情報誌を送ってほしい
と書かれていました。

わざわざ住所を知らせてくださっただけでも
ありがたいのに、
そこにはさらにこんなことも書かれていました。

「御社の栄養補助食品は1包1包が無事でした。
避難所では元気の素を飲み続けました」

大変な震災のなかで、当社の製品を『元気の素』と
おっしゃってもらえたことを本当に誇らしく思いました。

「こういうこときのために、
この製品はあるんじゃないだろうか」

お客様のお体だけではなく、
まさかの時に寄り添い、その心の支えになる。

これからもその思いを胸に
つくり続けていきたいと思います。

(30代 女性)

とりあえず、「日清」なら

3月11日の震災時、私は神田の本社にいました。
テレビ画面に映る火事や、すべてをのみ込む
津波を見ても、災害が起きたということがあまり
信じられませんでした。

その日は会社で仮眠を取り、翌朝帰宅して
また眠りました。

目が覚めたとき、お腹が減っていたにもかかわらず
家には食べるものがありませんでした。

何か買って食べようと思ってでかけた
家の周りのコンビニやスーパーからは、
パンなどが姿を消していました。

これが地震か、これが災害かと初めて思いました。

震災後しばらくして、店頭にモノが戻ってきた
ある日のことです。

放射性物質の問題などが人々の気持ちに
不安の影を落としているころでした。

スーパーで買い物をしていると、若い夫婦らしき
二人連れが「日清フラワー」を手に取りながら
話しているのが聞こえてきました。

「とりあえず『日清』なら安心だよね」

ふだんは本社で働いているため、
お客様の顔を直接見ることはできません。

このとき、
あらためてお客様に安心を提供する
ことの重みを実感しました。

(20代 男性)

働く人の後ろに

入社4年目で、工場勤務をしているときのことです。

ある女性が
作業中、指先にけがをしてしまいました。

幸いけがは軽かったのですが、
同じ事故を起こさないよう
すぐに今後の改善に向けて話し合いをしました。

会議中、現場を管理する担当者が
突然、涙を流し始めました。

「大事なお母さんを預かっていながら、
けがをさせてしまい、ご家族に大変申し訳ない」

けがをした女性のお子さんに対して、
申し訳なさがこみ上げてきたのです。

社員だけでなく、その家族のことも思いやる姿に、
働く一人ひとりに家族があることを教えられました。

(30代 男性)

なぜ、うちの会社に入ったの?

とある新入社員と話していたときのことです。

「何でうちに入ったの?」と聞いたところ、
「実は迷っていたんです」
と彼は言いました。

「でも…
大切な人に食べさせたいかどうか。
それが決め手でした」

私たちは単なる食品をつくっているのではない。
大切な人たちの食と健康を支えているのだと
あらためて気付かされる言葉でした。

(40代 男性)